山行日:昭和50年12月27日〜1月4日
独身時代の身軽さで、年末、年始の帰省ラッシュもなんのその、ひたすら屋久島を
目指した。金沢を夕方発ち、最終の新幹線で博多着、駅で一眠りし、西鹿児島行きの夜行列車にのる。
そして、フェリーに乗れば海外遠征気分だ。宮之浦港からタクシーを相乗り。
猿の出迎えを受け、歩き出す。初日は登るにつれみぞれ混じりとなり高塚小屋に入る。
2日目は雪のため停滞。3日目の大晦日にようやく山頂を目指すことができた。
夜が明けると快晴。見事なエビのシッポ、樹氷の中を登頂、気分最高。
日の出の写真は翌日の昭和51年元旦のもの。3泊した小屋を後に、下山は安房まで歩き、
ユースホステルで雑煮をいただいた。
帰りは指宿温泉で疲れを癒し、開聞岳登頂(あいにくのガスで何も見えず)後、帰路につく。
故郷の文豪、深田久弥氏がたどったコースを逆に回った訳である。
山名:宮之浦岳、点名:宮之浦岳、一等三角点、標高 1,934.99m
基準点コード:4530-34-9001、5万分の1地形図名:屋久島東南部