[ 茗荷谷山城 ]

茗荷の多い山、一名「城ヶ平山」

登山口

広い登山道も…   集落跡まで

ユニークな道標   こちらは失敗作、周りはミョウガだらけ

堀切り

間伐材の階段   ロープもある

小広い山頂   

剣岳方面の展望写真   富山平野の展望写真、能登半島も

剣岳方面のカシミール図

堀切り   浅生への分岐

峠山からの展望   東種集落を見下ろす

浅生への道   浅生地区の畑跡

浅生登山口

おおかみこどものモデルとなった民家   アニメの幟旗

日石寺本堂

日本海側では最古の三重の塔   野外の仏像など

山名:城ヶ平山、点名:大 岩、3等三角点、標高 446.49 m 
基準点コード:TR3-5437-73-9201、5万分の1地形図名:五百石
 
撮影:平成30年6月9日

 真言密宗大本山、大岩山日石寺の東側に位置する茗荷谷山(一名、城ヶ平山)に築かれた中世戦国時代 の山城。


     (登山口にある由来書き、原文は縦書き)

       茗荷谷山城遺の由来(別称 城ヶ平山)
      大岩不動堂の北東にそびえる 標高四四
      六・三米の茗荷谷山に築かれた山城は、上
      市町域に所在する中世戦国時代八遺構の内
      二番目の高所に在って、眼下の柿沢城〜弓
      庄城と言うラインで結ばれていたものと思
      われる。
       主頂は、周囲の連山から独立し約一〇〇
      〇平方米の平坦地からなり、眺望遥か富山
      湾を渡って能登半島が低く長く伸び、右辺
      の魚津市松倉山から左辺のとんがり山まで
      更に後方を振り向けば、剣岳の主峰が屏風
      を立てた如く間近に迫る圧巻は大パノラマ
      として展け、戦国山城のロマンを彷彿とさ
      せるものがある。
       上市町は、鎌倉期以降「堀江庄」を拠点
      に成長し、戦国時代の終焉を飾る「弓庄」
      での籠城戦を戦った土肥氏ゆかりの町であ
      ると言われ、町域各地に築かれた城館群は
      他の地域に見られない中世戦国時代の貴重
      な歴史を今に遺している。

       茗荷谷山城 伝記
      一、邑伝に 土肥美間作守の奥城という
      二、茗荷谷村領「旧大岩村」南北三拾間程
        東西五間程の遺構あり 高き山に在りて
        東西共切岸され登り難し
          平成八年十月
               上市ライオンズクラブ