[米 子 城]

中海を見渡す城跡

 

山名:米子城山、点名:城山、三等三角点、標高 90.44m
基準点コード:5333-12-0601、5万分の1地形図名:米子

撮影:平成5年10月7日

米子城は、江戸時代初期、伯耆国一国を支配した中村氏による米子藩の藩庁となり、その後鳥取藩の支 城となった。
 戦国期には飯山の頂上に、南北約85メートル、東西約35メートルの郭を構え、東と北に野面積みで高さ 2メートル前後の石垣を各2段設けていた。門が3か所あり、現在は削平されているが、南が1段高く、建物 の痕跡があったという。
 江戸期には湊山に新たに築かれ、山頂の本丸、北側の中腹に二ノ丸、その下に三ノ丸を置き、戦国期に 米子城の主郭であった飯山は出丸として利用された。四重天守(大天守)と四重櫓(小天守)、30棟の櫓 と20棟の門が建てられ、城域の周囲に廻した堀には海水をひき入れていた。
 平成18年(2006年)1月26日、国の史跡に指定された。