[ 山 中 城 ]


富士山などの展望、山全体が城址、障子堀は必見

  

  

  

  

  



  



  

  

  

  

  

点名:城山、3等三角点、標高 547.96 m 
基準点コード:TR3-5238-57-8901、5万分の1地形図名:沼津
 
撮影:令和3年7月23日

 戦国末期に後北条氏と豊臣秀吉軍が激戦を交えた城。地形を利用して土塁や障子堀などが巧みに配置されている のが特徴。国指定史跡。

     (以下は現地案内板の内容)              国指定史跡山中城跡              (昭和九年一月二二日指定)       史跡山中城は、小田原に本城をおいた後北条氏が、永禄          年間(一九六〇年代)に小田原防備のため創築したも      のである。      やがて天正十七年(一九八九年)豊臣秀吉の小田原攻め      に備え、急ぎ西ノ丸や出丸等の増築が始まり、翌年三月、      豊臣軍に包囲され、約十七倍の人数にわずか半日で落城      したと伝えられる悲劇の山城である。この時の北条方の      城主松田康長・副将間宮康俊の墓は今も三ノ丸跡の      宗閑寺境内に苔むしている。       三島市では、史跡山中城の公園化を企画し、昭和四八      年度よりすべての曲輪の全面発掘にふみきり、その学術      資料に基づいて、環境整備に着手した。その結果、戦国      末期の北条流の築城法が次第に解明され、山城の規模・      構造が明らかになった。特に堀や土塁の構築法、尾根を      区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置、曲輪相互間の      連絡道等の自然の地形を巧みに取り入れた縄張りの妙味      と、空堀・水堀・用水池・井戸等、山城の宿命である飲      料水の確保に意を注いだことや、石を使わない山城の最      後の姿をとどめている点等、学術的にも貴重な資料を提      供している。                      平成十三年三月                      文  化  庁                      静岡県教育委員会                      三島市教育委員会