[宇 和 島 城]

五角形の縄張り、三角点ではなく水準点

   

  

  

  

  



  



  



城名:宇和島城、点名:基44、標高 10.4258 m     。
基準点コード:L000000000044、5万分の1地形図名:宇和島
 
撮影:令和5年3月11日

 宇和島城は、中世期にあった板島丸串城の跡に藤堂高虎の手によって築かれた近世城郭である。標高74メートル (80メートルとも)の丘陵とその一帯に山頂の本丸を中心に囲むように二ノ丸と帯曲輪、その北に藤兵衛丸、西側 中腹に代右衛門丸、藤兵衛丸の北側一段低い所に長門丸を配置し、東側の中腹に井戸丸、麓の北東に三ノ丸、内堀 で隔てて侍屋敷が置かれた外郭を廻らせる梯郭式の平山城となっており、各曲輪が山上部に散在している中世的な 縄張りを色濃く残しながらも、山麓部には追手門や搦手門のように内枡形や喰違虎口といった近世城郭的な縄張り ももつ。東側に海水を引き込んだ水堀、西側半分が海に接しているので「海城(水城)」でもある。

 現在、見られる天守などの建築は宇和島伊達家によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂 高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。外堀などの外郭ラインが五角形となる縄張りは、幕府の隠 密が江戸に送った密書(『讃岐伊予土佐阿波探索書』)には「四方の間、合わせて十四町」と誤って記され、この 史実から高虎の巧みな設計として「空角の経始(あきかくのなわ)」の伝説が生まれたとされる。