[鶴 ヶ 城]

一名会津若松城、戊辰戦争で籠城戦を経験

高さ20mの内堀   廊下橋を渡る

桝形を右折した地点の   石垣の上に三角点   本丸は修繕中

天守閣、北側の桝形      変わった形の大石が組み込まれている

赤瓦への復元完成予想図   愛嬌たっぷりのゆるキャラ「お城ボくん」

点名:鶴ヶ城、三等三角点、標高 238.22 m
基準点コード:TR3-5740-37-7501、5万分の1地形図名:

撮影:平成22年 8月 6日

 1384年、蘆名直盛が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。1643 年、保科正之が23万石で入封以後、明治維新まで会津松平氏(保科氏から改名)の居城であった。

 明治維新の戊辰戦争で新政府軍に攻められ、1ヶ月に及ぶ籠城の末、開城。損傷の激しかった本丸は破却され、 昭和40年、本丸は鉄筋コンクリート一部木造づくりで再建された。現在、かっての赤瓦の城に向けて復元工事中。 城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。