[鳥 羽 城]

四方を海に囲まれた「海城」、三重の天守



  

  

  

  

  

  

  

  

  

地名:城山、点名:城山児童公園、4等三角点、標高 23.52 m
基準点コード:TR4-5136-56-7701、5万分の1地形図名:鳥羽
 
撮影:令和5年7月16日

 鳥羽城は鳥羽湾を天然の堀として活用、高く積み上げた石垣とともに鉄壁の守りを築いていた。「海城」と呼ばれる所以である。
 本丸には旧鳥羽小学校の運動場跡があり、土俵の一部が残っている。その北隣の旧城内に当たる場所に城山児童公園 が整備されており、その一角(東端)に三角点が設置されている。擬木で作られて三角点の説明板があり、付近に はソテツが数本、ハート型の花壇、目立つ赤いハートマークと真っ白な「TOBA」のロゴが並ぶ。鳥羽湾の 島々を縫ってゆく船の眺めは絶景である。
 おりしも近鉄鳥羽線の鳥羽駅を出た下り電車が通過していった。


    (現地説明板の内容)

       鳥羽城跡(三重県史跡)

     鳥羽城は、九鬼嘉隆が文禄3(1594)年に築き、その後寛永10(1633)
    年に内藤忠重が入封してから二ノ丸、三ノ丸を増設し、近世城郭として
    体裁が整ったとされています。鳥羽城は、水軍の城らしく大手門(水門)
    が海側に設けられ、四方を海で囲まれた全国的にもまれな特徴をもつ
    「海城」でした。
     ここの場所は右下の絵図の三ノ丸があった場所になります。
     鳥羽城に関する資料としては、延宝8(1680)年に内藤家が断絶とな
    った際の記録に、天守三重とあり、規模は5間×6間で、高さ19.5m
    であったとされ、天守下には蔵もありました。
     天守閣や本丸があった場所は現在、旧鳥羽小学校運動場になって
    おり、建物などは残っていませんが、石垣の一部が相橋と     
    本丸西側などに残っています。城跡からは九鬼氏、内藤
    氏、稲垣氏の家紋の入った瓦が採取されています。

      鳥羽城の構造
     総面積            32,280坪       (ここに下の絵図2枚が入る)
     外曲輪惣堀           1,466間
     矢狭間の塀             942間
     水門                 4ヶ所
     門(相橋口門、横町口門、藤口門)    3門
     曲輪櫓(三重1、二重5、一重7)  13ヶ所 
                  (廃藩置県時の記録)