[村 岡 山 城 ]

四国八十八ヶ所巡り、一向一揆勢の城址

  

登り口      

     もうすぐ山頂

  

  

  

  

  



山名:御立山、点名:御立山、3等三角点、標高 301.00 m   . 
基準点コード:TR3-5436-04-9001、5万分の1地形図名:越前勝山
 
撮影:平成2年4月17日

 村岡神社脇が登り口、山頂まで四国八十八ヶ所めぐりの観音像が並ぶ。山頂は一向一揆軍が根拠とした 城跡址、その勝ち戦が「勝山市」の名称の起源とか。山頂から北西側を望むと眼下に白いドームは恐竜 博物館、遠く越前甲を仰ぎ見る。

   (以下は現地説明板などに記載の内容)       福井名山城 村岡(むろこ)山城跡マップ(まちづくり・むろこの会作成)      村岡山城跡縄張り図            村岡山城は天正2年(1574年)に一向一揆勢が白山平泉寺と戦うため、砦を築いてたてこもった城跡といわれます。      一向一揆勢がこの戦いに勝ったことを記念して「勝ち山」と呼ばれ、勝山の地名の由来となりました。       ふもとから歩いて20分ほどで着く標高301メートルの頂上には、堀を巡らせた郭などの跡が残されています。その多くは、一向一揆を平定し、後に城主となった      柴田氏が改修したものです。       地元の人たちから「村岡山」として古くから親しまれていますが、地図を広げると「御立山(おたてやま)」と書かれています。      元禄4年(1691年)以降に勝山藩主・小笠原家の山となり、御立山と呼ばれるようになりました。      用語の説明      主郭:城の最も大事な建物が位置するところ。(勝山市教育委員会指定第71号(有形文化財)平成31年2月7日)      郭 :城郭の最も基本的な施設。山の斜面を平たんにしたところ。兵が駐屯したり、櫓や建物を配置することがある。      畝状堅堀群:郭の周りの斜面などに彫られた堅堀が密に横に連続しているもの。攻め手が斜面を横に動くのを防ぐ。      土塁:郭や屋敷を防御するために設けられ、土で積み上げて囲む防塁のこと。      櫓台:物見と狼煙を上げるための櫓が築かれた高まりのこと。      空堀:郭と郭の間やまわりに彫られた溝のこと。      堀切:尾根を真横に切る溝のこと。兵の侵入を阻止、または遮断するために造る。            「史跡」村岡山城跡         戦国時代越前の一大勢力であった平泉寺は天正元年      (1573年)一乗谷の朝倉義景をほろぼした逆臣景      鏡を迎え入れ、また社寺での内紛もあって加賀越前      (志比)の一揆衆が平泉寺が討たんと来攻し、天正二年      2月末日九頭竜川(滝波附近)で戦陣を交えた。北袋      (今の勝山)の一揆衆も壇ヶ端城(荒土町堀名)およ      び中島(北郷町西妙金島附近)より、これが援護のた      め出陣したが敵軍の猛攻に敗れ島田将監らを大将とし      た一揆軍は壇ヶ端に引き返し城を築いて攻略の作戦と      兵班を組んだ。       そして平泉寺軍の監視所である村岡山と対陣一ヶ月      半の四月十四日七山家(今の北谷)等の一揆衆は急遽      村岡山を占領し壇ヶ端城と共に決戦の機を制していた。      翌十五日、平泉寺軍は朝倉景鏡を大将とした全兵力八      千を挙げて村岡山の奪還に出たが、一揆軍は激しく応      戦。壇ヶ端城の一揆軍も志比方面の援軍を得てこれに      加勢した。しかもこの援軍の別働隊は暮見谷より本拠      平泉寺の社院に火を放ったため出陣していた兵軍は、      この奇襲に狼狽敗し景鏡も遂に戦死(村岡小学校うら)      した。この山は一揆軍が勝利を得たところから勝山      と名付けられたが翌三年に織田信長の北陸征伐によっ      て一揆軍は掃討され、越前は柴田勝家の領となり、勝      山(村岡山)は甥の義宣の居城となった。       その後、天正五年には義宜も一揆の      残党のため討死(北谷小学校附近)      その養子の勝安が城主となって同八      年城を袋田(今の市民会館の地)に  (ここに下の図が入る)      移しその地を勝山と称した。村岡は      いまの勝山市の前身であり、山頂      (301メートル)の城跡には御本丸や二      の丸跡と内堀・外堀がのこってお      り、山麓には人名や社寺名が地名と      して残っています。       時代が流れた今日、この村岡山は天正の役での史話      を秘めながら、緑と大気の美しさをわたくし達に与え      ております。この尊い郷土の山を大切にそして美しく      後世に残したい。          平成十一年八月建立                     郡壮年会                     村岡公民館  謹建