[文 殊 山 城]
戦国時代の山城、朝倉氏が築城か
地名:小平(こべら)、点名:西袋、 四等三角点、標高 204.38 m、基準点コード:TR4-5336-71-9801 山名:文殊山奥ノ院、点名:文殊山、二等三角点、標高 350.38 m、基準点コード:TR2-5336-71-8701 5万分の1地形図名:鯖江(上記2点共) 撮影:平成27年12月20日
現地の案内板の記載内容 文殊山城(戦国時代) 文殊山を管理する 巌寺が戦国大名・朝倉氏の祈願寺だったことから 朝倉氏が織田信長軍や一向一揆に備えて築城した可能性が高い。 城の規模は大文殊を中心に小文殊、奥之院にまで広がる大規模なもの で、山岳霊場をこれほど要塞化した例は県内では珍しい。 これまでに郭(くるわ、曲輪)が48カ所、堀切(ほりきり)が10 カ所、竪堀(たてぼり)が11カ所、畝堀(うねぼり)が10カ所確 認されている。 山城には福井城や姫路城、大阪城のような近世の城にみられる石垣は 使用されていない。 うらがまちづくり文殊地区委員会