[松 坂 城]


蒲生氏郷が築城、日本百名城、見事な石垣


  

  

   

  

  

  

  

  

裏門へ下る道
  



地名:松坂城公園、点名:松坂城、4等三角点、標高 38.07 m
基準点コード:TR4-5136-64-9201、5万分の1地形図名:松坂
 
撮影:令和4年10月16日

 蒲生氏郷が築城、街中にあって堀は姿を消したが、見事な石垣の連続は目を見張り、状態良く現存している。 三角点は本丸上段の西端にある天守台の南東隅、桜の木の根元にある。
 おりしも「荒城の月」ならぬ白い月が青い空に浮かんでいた。


    (以下はウキペディアより引用)
      城の縄張りは梯郭式平山城である。松阪市の中心地の北部に位置する。阪内川が城北を流れ天然の      堀となっている。江戸時代初期には松坂藩の居城となっていたが、廃藩後は御三家紀州藩の南伊勢国      内17万9千石を統括するために城代が置かれた。       城内の建築物は1877年(明治10年)の失火と1881年(明治14年)までの破却によって失われ、現地      には石垣のみが残っており、城址公園となっている。(公園名は「松阪公園」。)周囲には松阪市役      所、市民病院、当地出身の本居宣長記念館などがある。松阪は梶井基次郎の短編小説『城のある町に      て』の舞台であるため、二の丸跡に文学碑が建てられている。この文学碑は1974年(昭和49年)8月      に建立された。       三の丸跡地は明治以降に開発され、三重県立松阪工業高等学校、松阪市立殿町中学校、松阪市民病      院などになっている。    (以下は現地案内板記載の内容)       国史跡 松坂城址        指定 平成23年2月7日       松坂城は、蒲生氏郷が天正一六年(1588)この四五百森に      築城した平山城である。       蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天      正19年(1591)に服部一忠、文禄四年(1595)に古田重勝      と城主が変わり、元和五年(1619)に徳川頼宣が和歌山藩主      となると同時に和歌山藩となり、以降、明治になるまで勢州領      (松坂・田丸・白子等)十八万石を統轄する城代が置かれてきた。      城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・      きたい丸からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に      土塁や堀をめぐらせていた。       三層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓がそびえ立っていたが、      正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。      また、二ノ丸には寛政六年(1794)に着工された御殿(別名      徳川陣屋)があった。       明治十四年(1881)松坂公園となり、現在に至っている。                   平成二十四年三月九日   松坂市教育委員会