[松 倉 城]

高山市街を見下ろす要衝の地、見事な石垣

飛騨の里、遊歩道入り口   松倉シンボル広場

松林を抜けると西南角の櫓の石垣   西南角の櫓の石垣

西南角の櫓   三の丸

三の丸の石垣   東南の角矢倉

本丸外曲輪の石垣   本丸外曲輪の石垣

本丸外曲輪の石垣、出っ張りがある   本丸外曲輪の石垣、大小さまざまな石が積まれている

本丸外曲輪への登り口、右手が本丸   二の丸から本丸

本丸   本丸、向こう側に高山市街地を見下ろす

三角点   本丸から二の丸を見下ろす

大手方向、第一門跡辺り   大手に残る井戸跡

案内板に記された配置図

山名:松倉山、点名:城山、三等三角点、標高 856.72 m
基準点コード:TR3-5437-11-4801、5万分の1地形図名:三日町
 
撮影:平成27年5月6日

 「飛騨の里」から遊歩道をたどる。松倉シンボル広場のある峠から、左手、 小祠の脇に登山道、松林の中を登る、やがて目の前に石垣が出現。本丸跡、二の丸跡等に立派な石垣が残る。 本丸跡からの展望は北アルプス等を望めて抜群。

案内板に記された説明
     史蹟 松倉城跡
             岐阜県指定昭和31年11月14日

   三木良頼、自綱によって、永禄年間(1558〜)から天正年間中頃(1573〜)にかけて築城され
  た。三木良頼は永禄元年(1558)長子良綱(自綱)を将として、天神山城(後の高山城)の高山外
  記と畑佐城(新宮町)の山田紀伊守を討った。三木自綱は天正5年(1577)中山城(下岡本町)の
  岡本豊前守を討ち、白川郷を除く一円を支配し、桜洞(益田郡萩原町)を冬城に、松倉城を夏
  城とした。
   松倉城は山城ながら山上の本丸に矢倉、城門を置き、標高856.7m比高360mの松倉山上に
  巨石を使って、堅固な石垣を築き上げている。戦国末期の山城から一歩前進した雄大な縄張
  りをもつ城である。天正13年(1585)金森長近、可重父子に攻められて落城し以後廃城となっ
  た。
                                 高山市教育委員会