[ 国 吉 城 ]


続日本100名城、難攻不落、若狭路の要衝

  



   

  

  

  

  

地名:国吉城、点名:徳賞寺、4等三角点、標高 197.10 m .
基準点コード:TR4-5335-37-3701、5万分の1地形図名:西津
 
撮影:令和5年4月27日

 美浜町への出張の帰り、国道から城跡が見えたので立ち寄った。麓の若狭国吉城歴史資料館で遊歩道などの情報を仕入れてトライ。 谷筋の急な階段道を登り、尾根筋へ。左手が二ノ丸で、右手に本丸。かなり広い敷地で奥に櫓台がある。 三角点は広場の左手、ミズナラの木の下。頑丈な保護石に囲まれている。側からは若狭湾を見下ろし、 敦賀半島の西方ヶ岳が間近に望めた。

   (以下はウキペデイア「国吉城」より引用)      越前国と若狭国の国境である関峠を過ぎ、若狭国に入り、旧丹後街道を進んでいくと、北は天王山、南は御岳山(おた     けやま)に挟まれた椿峠がある。越前から若狭に深く侵入するには、この椿峠を必ず通過する必要があるが、国吉城はま     さにその軍事上の要所を抑える位置にあり[5]、御岳山の北西尾根端の通称「城山」(標高197.3メートル)に築かれてい     る。      もとは、常国国吉(つねくに くによし)が築いたもので、その城跡を利用して1556年(弘治2年)に粟屋勝久が改修し、     築城したと言われる。勝久は1563年(永禄6年)から1569年(永禄12年)の間、毎年のように攻め寄せる越前朝倉氏の軍勢     と幾度となく戦った。その壮絶な戦いぶりは「国吉城籠城戦」として『若州三方郡国吉城籠城記』などに伝わっている。      2009年(平成21年)4月に、国吉城の歴史を紹介するガイダンス施設である「若狭国吉城歴史資料館」が開館している。     2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(139番)に選定された。