[ 霞 ヶ 城 ]

堅固な山城、安達太良連峰始め360度の展望

  

  

  

   

麓の居館
  

  

  



地名:霞ケ城址、点名:本丸、3等三角点、標高 334.24 m .
基準点コード:TR3-5640-33-1401、5万分の1地形図:二本松

 
撮影:令和5年5月6日

 堅固な山城で、本丸跡に立つと安達太良連峰始め360度の展望が開ける。 本丸の石垣の西南20mの地点に三角点がある。麓の居館跡には戊辰戦争の際に出陣した二本松少年隊 (12〜17歳の少年62名で構成)の銅像が建つ。


    (ウイキペデイア「二本松城」の項目より引用)
     二本松城は二本松市街地の北に位置し、麓の居館と、標高345mの「白旗が峰」に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城であ
    る。江戸時代は二本松藩主丹羽氏の居城となった。

     戊辰戦争。 慶応4年7月29日正牛二本松藩は二本松の戦いにて、二本松城に火を放ったのは丹羽和左衛門養子茂正(新十郎)
    である。 茂正(新十郎)は二本松城に火を放ち、自刃していたと言う。これは茂正(新十郎)の乱心であったと丹羽和左衛
    門が「この大馬鹿者が勝敗決しておらぬは」と激昂したと伝わる。

     慶長20年(1615年)に起きた大坂の陣以降、城を枕に討ち死にした藩は、三百余藩ある中で、二本松藩だけであった。

     現在は「霞ヶ城公園」として整備されており、石垣と再建された箕輪門がある。山上の本丸には天守台、石垣が近年になっ
    て再構築された。また、城の入り口には二本松藩7代藩主・丹羽高寛が、家臣で儒学者の岩井田昨非の献策により、一夜のう
    ちに自然石に藩政改革と綱紀粛正の指針を刻ませた「戒石銘碑」があり、

     昭和10年(1935年)に「旧二本松藩戒石銘碑」として国の史跡に指定されている。

     城郭由来の建造物として、県指定文化財の茶亭「洗心亭」が、明治時代に城内に再移築され現存する。