[亀 山 城]


富山県三大山城の増山城の支城

増山城全体を見る   

  

  

  

  馬洗い池

鐘撞堂跡   鐘撞堂跡の超ミニ鐘

伝神保夫人入水井戸

この先が亀山城
  

  

  



山名:亀山、点名:増山、3等三角点、標高 133.01 m   . 
基準点コード:TR3-5437-70-8301、5万分の1地形図名:八尾
 
撮影:平成2年3月21日

 和田川ダムの堤体を渡ると増山城の大手口。急な階段城の道を登る一ノ丸、二ノ丸、鐘撞堂、馬洗池、 三の丸と続き、さらに御所山屋敷、足軽屋敷、池ノ平等屋敷、伝神保夫人入水井戸の先に切り通しがあり、 舗装道路が横切る。この先が亀山城で、急な階段を登ると、山頂は平担地となっており、暗い杉林の下に 三角点がある。

     (以下は現地案内板の内容)        国指定史跡         増 山 城 跡           指定年月日 平成21年7月23比           所在地   砺波市増山字1の93324外       増山城は、戸波平野東部の和田川右岸にあり、射水郡、婦負      郡、砺波郡の三郡の郡界に位置する。       「一の丸」「二の丸」「三の丸」「安室屋敷」「池ノ平等」な      どの地名を今に残す曲輪群や、規格的に配された巨大な空堀・      堅堀群は、魚津市の松倉城、高岡市の守山城と並び越中三大      山城のひとつと称されるにふさわしい。北の亀山城、孫次山      砦を含む増山城郭群の中心をなす城である。       南北朝時代に「和田城」として現れるが、室町時代には越中      守護代神保氏の主要な居城となった。戦国時代には一時、越後      上杉氏に攻略されるが、上杉謙信(長尾景虎)は「増山之事、元      来嶮難之地、人衆以相当、如何も手堅相抱候間」とその堅牢ぶ      りを称えている。天正9年(1581)、織田勢の攻撃を受け      焼き払われた。その後、織田氏のもと越中を平定した佐々成      政の西部拠点として大規模な整備、修築が図られた。角櫓を要      所に配した郭や、二重の空堀など主要な施設はこの時期に整                   備されたと考えられる。                    こうした城構えもやがては豊                   臣方の軍門に降り、天正13年(1                   585)以降、前田氏の支配下で                   重臣中川光重(巨海斎宗半)が城       (ここに下の      主となり、妻簫とともに城を守っ          航空写真が入る) た。元和の一国一城令が施行さ                   れた17世紀初めころ廃城になっ                   たと推測される。      平成21年7月23日                    富山県教育委員会     航空写真         亀  山  城  跡      亀山城は増山城の出城として北方の      この山上に築かれ神保安芸の居城と      伝えられています。中腹に腰郭跡が      あり北側は急斜面となった要塞です。       亀  山  城      遺構の説明       ・標高133.1mの高津保理山(たかつぼりやま)が亀山城。       ・天保11年(1840)の古絵図などに「高ツブリ山」と記入されている。       ・主郭には、高坪里神社(以前に増山神社に合祀)の跡地がある。       ・増山城中心部とは法花坊谷(ほうぼうだに)を隔てた、独立丘陵          にある。       ・主郭の平坦面は 50×25m=1250u         発掘の成果            ・16世紀後半の中世土師器が大量に             出土した。            ・2段階にわたる平坦面の造成を確認               @地山成形               A郭全体の盛土            ・建物跡は検出されず