[ 会津若松城 ]


一名「鶴ヶ城」、戊辰戦争で籠城戦を経験



  



  

  

  

   

地名:会津若松城、点名:鶴ケ城、3等三角点、標高 238.16 m
基準点コード:TR3-5639-17-8401、5万分の1地形図名:若松
 
撮影:令和4年7月30日

 1384年、蘆名直盛が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。16 43 年、保科正之が23万石で入封以後、明治維新まで会津松平氏(保科氏から改名)の居城であった。
 明治維新の戊辰戦争で新政府軍に攻められ、1ヶ月に及ぶ籠城の末、開城。損傷の激しかった本丸は破却さ れ、昭和40年、鉄筋コンクリート一部木造づくりで再建された。この度、赤瓦の復元工事が終了し、白漆喰 とのコントラストでその威容を誇っている。城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国の史 跡に指定されている。
 三角点は、廊下橋の北、堀沿いの土塁の上に設置されている。

   (以下はウキペデイアから引用)      若松城は梯郭式の平山城で、本丸を中心に西出丸、北出丸、二の丸、三の丸が周囲に配置されていた。城下     町の南端に位置し、会津藩の政庁として会津の政治の中心であった。藩主の会津松平家は徳川将軍家と密接な     関係にあり幕末には戊辰戦争の激戦地となった。現在、城跡は「鶴ヶ城公園」となっており、そのほとんどが     国の史跡に指定されている。史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プールおよび福島県立博物館がある。天     守閣は鉄筋コンクリートで外観復元され、内部は若松城天守閣郷土博物館となっている。