[末 森 城]

前田利家vs佐々成政の攻防、加賀・能登の要衝

登山口   路傍の立て札には樹木や草の名前が記してある

幅の広い登山道が続く   

若宮丸跡、南端に立つと金沢城が見えそうな…   

  

前田家18代当主の記念樹

本丸跡から日本海を望む   波が高く白波が押し寄せる海岸

記念碑まえにて
山名:末森山、点名:末森山、四等三角点、標高 138.78 m 
基準点コード:TR4-5536-16-9201、5万分の1地形図名:石動
 
撮影:平成26年11月3日

 前田利家が七尾城から金沢に移り、加賀能登の領地支配を固めようとした矢先、越中にあった佐々成政が大挙して末森 山頂一帯に築かれた末森城を攻めてきた。ここは、宝達山の尾根が海岸近くまでせまっており、(写真のとおり、海 が近い)加賀・能登をつなぐ要衝の地。城を守る奥村家富らが苦戦し、本丸を残すのみとなったところで、金沢から前 田利家が応援に駆けつけ事なきを得たのである。

 この末森合戦で、佐々成政が4kほど南に位置する坪井山に陣を敷いたのが天正12年9月9日、大河ドラマ「利家 とまつ」ではこの日に近い平成14年9月8日に末森城の攻防戦が放映された。

 羽咋郡押水町竹生野(たこの)集落の裏手から20分で本丸があった山頂に到達できる。