[七 尾 城]

日本3大山城の1つ、見事な石垣が残る

杉木立の中に石垣   

現地に設置された桜馬場から本丸方向のCG画像   本丸への階段と石垣

本丸跡地から展望台方向、青空に綺麗な雲が広がる   展望台がわずかに見える

本丸隅に城山神社   神社から七尾湾を一望

展望台   …の脇に溜め枡に納まった三角点

城跡を見下ろす   

七尾市街地、七尾湾、能登島を俯瞰   右の目を転じると七尾火力発電所も

かなたに日本海   石動山を遠望

山名:七尾城山、点名:小松原、三等三角点、標高 379.47m 
基準点コード:TR3-5536-47-1901、5万分の1地形図名:七尾
 
撮影:平成28年11月14日

 七尾城は中世の山城で能登地域支配の要であった。畠山氏の居城で、麓には城下町も形成されて いた。前田利家が能登を拝領し、一時この城にあったが、間もなく七尾市内の小丸山に平城を 築き、居を移してしまった。時代が変わると山の上では都合が悪いことも多々あったようである。

 七尾城山には尾根一帯に本丸跡、二ノ丸跡をはじめ、良好な形で石垣も残されており、規模が大きく、 守りに堅い山城であったことが偲ばれる。日本3大山城に数えられている。
 展望台のあるピークに三角点があり、松尾山ともいう。ここからは七尾湾、能登島を一望す るとともに、富山の山々も望める絶好の位置にあり、七尾城の物見台となっていたようである。


  ・案内板の記載内容

     国指定史跡
       七 尾 城 跡
    この城跡は、室町時代能登国の守護であった畠山氏が、歴代居城とした所であ
   る。石動山脈の北端、七尾湾が一望できる標高約300メートルの山頂部を削平
   して本丸を置き、これを中心として急峻複雑な地形を巧みに利用し、東方に長屋
   敷、西方及び北方にかけて西の丸、二の丸、三の丸等を構えた規模雄大な山城で
   ある。
    天正(一五七七)九月、上杉謙信がこの城を囲んだ際、折からの月明に感嘆し
   て詠じたと伝えられる漢詩
      霜満軍営秋気清 数行過雁月三更
      越山併得能州景 遮莫家郷懐遠征  が、広く世に称賛されたことで、本
   城の名を高めている。
    その後、幸いにも自然災害や開発等の厄にもあわず、各尾根上の廓跡や石垣は
   良く保存され、わが国中世における山岳城郭史上優れた遺跡として昭和九年十二
   月二十八日国の史跡に指定された。