[舟 岡 城]

うっそうと繁る杉林の中の歴史

青年の家裏手に「北口」   

ここに三角点   

擬木の腰掛けが並ぶ   手取川の流れ、橋を望む

  出丸矢倉の石積み

堅堀も良く残っている

白山比盗_社発祥の地   

本丸の石積み   

「本丸口」   

絵図が掲げられている

城名:舟岡城、点名:舟岡山、四等三角点、標高 178.74 m
基準点コード:TR4-5436-55-2001、5万分の1地形図名:鶴来
 
撮影:平成26年2月16日

 舟岡山は手取り扇状地の根元にあたり、白山の谷間を流れてきた手取川は、この後、文字どおり扇状に広がり、松任平野を潤している。
 交通の要衝といった側面もあろうが、地の利から、周囲の山の幸、川の幸を求めて 縄文時代にはすでに人が住んでいた。
 下って、白山信仰発祥の地となり、一向宗徒が勢力を持ち、一揆時代には鳥越城を本拠にして、この舟岡山に支城として舟岡城が築かれ ていた。杉林の中に石垣や空堀などの遺構が良く残されている。
 一向一揆が織田方によって鎮圧された頃には舟岡城もすでに織田方に渡ってしまい、後に前田家の支配するところとなり、一国一城令に先 立って廃城となったようである。

 白山青年の家の裏手から、杉林の中をたどる。どこが山頂かは判然としないが、最初に現れる左手の石垣の上に三角点があり、右手 に手取川の流れが垣間見えるころ、本丸跡、そして、白山信仰の発祥地を記念する塔と続く。散歩がてら、歴史の変遷を思い浮かべて みるのもいい。