[石 動 山]

最盛期には360坊を数えた山岳信仰の拠点

  

  

点名:石動山、三等三角点、標高 512.99 m      
基準点コード:5536-37-4601、5万分の1地形図名:氷見
 
撮影:平成14年3月23日

 国の指定史跡になっている石動山は古代・中世において、能登における山岳信仰の中心として栄え、 最盛時には360坊を数えた。宗教集団として一大勢力を誇っていたが、天正5年、上杉謙信が七尾 城を攻めた際に本陣を置くなど戦国時代はたびたび合戦の場ともなりました。

 天正10年、能登の国を与えられ、名実ともに一国一城の主となった前田利家は石動山を焼き打ちし 全山を炎上させた。越中、越後勢の攻撃を防ぎ、国を治めるのに必要な方策でした。 以後利家は一向宗を手厚く保護しました。加賀の一向一揆の動向を見知っていた利家の宗教集 団への対処法だったのです。

 三角点は、石動山と荒山峠のほぼ中間、桧に覆われた山頂(写真上段)にあります。石動山本来の 山頂=大御前には、神社の横にそれらしきものがあるのみ(写真下段)です。