[堅 田 城 山]
弥生時代からの遺跡、街道と水運の抑え
山名:堅田城山、点名:深谷、4等三角点、標高 113.12m
基準点コード:TR4-5436-75-3601、5万分の1地形図名:金沢
撮影:平成27年4月5日
所在地:石川県金沢市堅田町ヌの1番地
金沢から富山へ抜ける要衝の地に築かれた城の址である。すなわち堅田城の真下、南側には小原越が東西に、西の平
野を北陸道が南北につらぬいている。
一時木曽義仲が居城したとの伝承があるが、16世紀後半に一向一揆衆が築城、もしくは改修したのではないかとい
う研究もある。発掘調査の結果、甕が出土し、弥生時代(後期)以降、人との係わりがあったことが分かった。
医王病院の東側、墓地の上から(10分)と堅田町の東外れ(15分)からの2ヶ所に登り口がある。
里山の宿命として一時孟宗竹に覆われていたが、これを駆除する一方、金沢大学によって生態系の回復調査が行われている。