[堅 田 城 山]

弥生時代からの遺跡、街道と水運の抑え

深谷側の登山口   杉林から雑木林に

曲輪から主郭を望む   主郭下の急斜面

主郭があった山頂   ベンチの側に三角点

何も遮るものの無い能登方面の展望   森本インターを見下ろす

雪の残る医王山   手前に新幹線、そして河北潟、医科大、日本海と

かっては孟宗竹に覆われていた曲輪跡   間伐材の階段

もう一方の登山口である墓地駐車場付近   

誉田別神社、すぐ後ろに堅田城山   集落から登山道のある杉林を見上げる

仲良しシュンラン  こちらは八重咲きのタンポポ?  普通のタンポポ

サカキの花   トキワイカリソウも咲いています

まさに満開のしだれ桜   小公園に植えられたしだれ桜

山名:堅田城山、点名:深谷、4等三角点、標高 113.12m
基準点コード:TR4-5436-75-3601、5万分の1地形図名:金沢

撮影:平成27年4月5日

所在地:石川県金沢市堅田町ヌの1番地 

 金沢から富山へ抜ける要衝の地に築かれた城の址である。すなわち堅田城の真下、南側には小原越が東西に、西の平 野を北陸道が南北につらぬいている。
 一時木曽義仲が居城したとの伝承があるが、16世紀後半に一向一揆衆が築城、もしくは改修したのではないかとい う研究もある。発掘調査の結果、甕が出土し、弥生時代(後期)以降、人との係わりがあったことが分かった。
 医王病院の東側、墓地の上から(10分)と堅田町の東外れ(15分)からの2ヶ所に登り口がある。  里山の宿命として一時孟宗竹に覆われていたが、これを駆除する一方、金沢大学によって生態系の回復調査が行われている。