1 「物見山」能美市辰口
最初、物見山の北縁にある小さな丘の上、北陸鉄道能美線(現在は廃線)のそばにあったのですが、これは
物見山の開発計画が持ち上がった際に、工事の邪魔になるので移転したほうが良かろう(下線部は私の推測
です)ということで、水田の中の農道へ一時(?)避難しました。元の位置から北へ100m余り、点名は平地にありながら当然
に「物見山」のまま。
その後、物見山は運動公園に生まれ変わり、開発整備の完了に伴い、45年ぶり(いささか長いが…)に物見山の一角に再度
移転しました。その際、標石も新調されたようで、現在は運動公園内のテニスコート脇の芝生のところ、鉄蓋に中に納まっ
ています。安住の地にたどり着いたおももちです。
当初設置された丘と移転先の農道を俯瞰(令和4年2月11日 撮影)
農道へ一時避難(昭和44年8月28日 設置、平成23年12月31日撮影)
水田の向こうに物見山
物見山運動公園へ移転(平成26年3月3日 設置、平成29年11月5日 撮影)
3枚の地図
現在の三角点情報: .
点名:物見山、3等三角点、標高 42.12 m .
基準点コード:TR3-5436-54-4402、5万分の1地形図名:鶴来
2 「花見月」中能登町花見月、眉丈ヶ丘休憩地
最初、地図の上では道路に囲まれた三角形の中心あたりに設置(明治36年7月30日 設置)されていましたが、公園の整備
に伴い、道路が整備されベンチが設置されました。ベンチの天板には測量作業に支障なきよう四角い穴(写真参照)が設けられました。
その後、そのベンチの上に東屋が建てられ、これでは三角点の機能が果たされず、結局三角点の方が
10mほど西南方向へ再設置(=移転ではない、平成19年6月27日)され、鉄蓋の中に納まっています。元の
三角点は地上部が打ち割られ、痕跡のみをとどめています。
因みに、平成24年、テレビ金沢の取材を受け、「三角点の達人」としてスタジオでインタビューされたとき(私はその時点
で現場の様子を確認していませんでした)、スタッフは本番になって初めて現場の写真を見せてくれ、私は
打ち砕かれた三角点を見て「あ〜無い!!」と、とても驚きました。本番終了後、その表情がリアルでとても良かった
と褒められたことを思い出しました。
(テレビ局の記者は打ち砕かれた三角点の現状にトラブルは無しと言っていましたが、国土地理院と町の間にどんなやりとりがあ
ったのか興味のあるところです……)
再設置された三角点(平成19年6月27日 最設置)
ベンチの下に打ち割られた三角点の痕跡、ベンチの穴にも注目
再設置後の地図
現在の三角点情報: .
点名:花見月、2等三角点、標高 223.62 m .
基準点コード:TR2-5536-46-0801、5万分の1地形図名:七尾
3 「木原岳」輪島市三井、能登空港
能登地域住民の悲願であった能登空港の整備に伴い、木原岳の山頂にあった三角点(輪島市と穴水町の境、明治36年6月21日埋標、標高
277.9 m)は道路北側の駐車場にあるトイレの裏手、盛り土の上に移転(輪島市内、平成10年10月21日埋標、旧位置の北西約
496m)しました。点名は元のままです。
※()内は旧点の記(平成10年調整)に記載の内容
(因みに、能登空港の開港前まで能登半島の先端は、東京からの時間距離は国内で最遠地であったが、開港に伴いそれは解
消された。)
平成10年に次いで、平成23年、現在の道の駅の駐車場脇=現在2基の丸い頭のアンテナがある場所から、そのアンテナの
設置に伴い50mほど南西の現在地に再度移転した。
標石は明治時代のものがそのまま使われたようで「二等」の文字は「右から左」に、「三角点」の文字は旧字体で刻まれている。
空港の近くに移転した三角点(平成10年10月21日 設置)
平成15年9月11日撮影(1回目の移転から5年後)
移転後の三角点情報: .
点名:木原岳、2等三角点、標高 220.99 m .
基準点コード:5536-77-5701、5万分の1地形図名:穴水
平成20年5月2日 撮影(1回目の移転から10年後、測量標識、ポールが無くなっている)
平成29年10月16日 撮影(2回目の移転から7年後)
2回目の移転後の三角点情報:(コード、標高、保護石の配置が変更されている)
点名:木原岳、2等三角点、標高 220.04 m .
基準点コード:TR2-5536-77-5601、5万分の1地形図名:穴水
1回目の移転前と2回目の移転後の地図
ホ ー ム