[米  山]

日本三大薬師、ブナ林、日本海の展望

下牧ベース993   

米山薬師の御仮堂   

旧道との分岐から日本海を展望

駒ヶ岳の小屋   小屋の入り口横、石地蔵が3体

33観音   ここからV字登山道が始まる

ブナ林の下に登山道   

泰澄禅師の塔   しらば避難小屋

山頂の米山薬師   薬師堂内の仏像

山頂小屋、背景は日本海

一等三角点   明治15年設置の原三角点

米山大橋を俯瞰   刈羽原発を遠望

下牧コースの旧道にある石像

旧道登山口の小屋   おいしそうな栗ご飯が供えてある

下牧集落

山名:米 山、点名:米 山、一等三角点、標高 999.52 m 
基準点コード:TR1-5538-73-4801、5万分の1地形図名:柿崎
 
撮影:平成28年9月3日

 9月の例会山行は3〜4日の一泊二日で新潟県の山を登った。初日の米山は中日登山教室の下見も兼ね、日本三 大薬師など見所が一杯の山である。下牧ベース993(トイレ、休憩所有り)から登山を開始した。
 初めこそ杉林のなかの水平道もあって楽勝気分であったが、尾根に出ると風当たりが良く快適かと思いきや背丈 以上のVの字に切れ込んだ道の連続で蒸し暑いことこの上無し。救いは豊かなブナ林が照りつける日射しを遮って くれるのは有り難かった。

 山頂には立派な小屋が建ち、薬師堂、一等三角点と原三角点、眼下には日本海が横たわり、柏崎市街地の向こう は原発施設を遠望したが、それ以遠は霞んでおり、期待した佐渡は見えなかった。薬師堂の裏の日陰で休憩、日本 海から吹き上げる風は心地良く40分ほどボンヤリと景色を眺めていた。まだ茶色っぽいアキアカネが群舞し、ト ンビが目の高さで風に乗って上下していた。

   (現地案内板の記述内容)
    泰澄禅師(太師)の豆知識

    泰澄は682年、越前の国(現、福井県)に誕生し、修行を重ねその後白山に登り
   山岳信仰を基に「神道・密教・道教」等を統合した。
    和銅5年(712年)弟子の沙弥を連れて修行行脚で当時「五輪山」と呼ばれてい
   た米山に来た処「之、薬師如来の浄土なり」と悟り修行を重ねた。
    沙弥は、飛鉢(托鉢のおわんを飛ばす)の術を心得ており、鉢崎沖(現、米山町)
   を航行する船から修行するに必要最小限の米と塩を頂いていました。
    ある日、出羽の国(山形県)、上部清定が献上米を積んで京の都に向け航行してい
   ました、沙弥はいつもの様に「少々の米を」とお願いしました。
    清定は邪険に断ると、沙弥が何か呪文を唱えると雁の如く船に積んであった米俵が
   五輪山に飛んで来ました。
    その後、此の山を五輪山から「米山」と呼ぶようになりました。

      此の案内板は、平成二十四年度         ・蜜 蔵 院
      上越市地域支援事業で建設したものです。    ・柿崎山岳会