[ 鷲 ヶ 岳 ]

展望の良い山頂、九頭竜川の流れを俯瞰

  

  

  

  

  

 

  

勝山市街地と九頭竜川の流れ 左手奥に荒島岳、右手前は保田経ヶ岳

雪を頂くのは経ヶ岳

山名:鷲ヶ岳、点名:大越、3等三角点、標高 760.09 m   .
基準点コード:TR3-5436-13-1201、5万分の1地形図名:永平寺
 
撮影:平成2年4月17日

 登山口は 北郷町伊知地の白山神社横の駐車場。緩い登りから、細い尾根の登り、林道を横切って再び林道歩き、林道が尽きる と左にへピンカーブして尾根歩きと続く。
 途中、いくつかの標識があり、「山いいーん会」と整備主体の名称が入っている。これは「委員会」と「良い」 をかけた名称と知れる。途中全コースの4分の1くらい林道を歩くが、道沿いにかなり年輪をかさねた桜の大木が 植っており、ちょうど満開で上から見下ろすと杉林の中に転々と桜の花が連なっており、コースの目印になっている。
 山頂からは眼下に勝山市街地と九頭竜川の流れ、雪を頂く白山と経ヶ岳、保田経ヶ岳、荒島岳などを展望する。

   (以下は山頂に有る説明板の内容)        鷲ヶ嶽古戦場      興国元年(1341)南朝の忠臣新田義貞が灯明      寺畷で戦死した後、義貞の重臣畑六郎左衛門      時能公は僅かに手勢二十七騎とともに鷹巣城      (福井市)に立て籠もり七千余の足利高径の軍      勢を迎え撃ち散々大軍を悩ましたが、やがて      持久戦となると、不利とみるや手勢十六騎を      率いこの鷲ヶ嶽に転進し、山頂に陣取って中      黒の旗二流を打ち立て間もなく敵の寄手二千      余騎が攻め込むや、縦横無尽に斬りまくり、      東西南北へと散走させたが幔幕で休息中障子      の板の端から飛び込んだ一本の矢が肩先にさ      さり鏃が抜けず三日間苦しんだ末、山麓にお      いて壮烈な最後をとげた、ときに興国二年十      月二十五日の夕刻であった。      畑公の忠節に対し大正四年十一月十日特旨を      まって「正四位」が追贈された。      頂上は海抜七六九米、途中「馬の蹄跡」飲料      水に使用したと伝えられる「水屋の清水」、      馬屋跡などがあります。        平成三年十月(六百五十年忌記念)                   畑時能奉賛会


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