[直 峰 城 山]

上杉謙信没後、御館の乱で存在感

城山全景   鳥瞰図、こんなに広かったんだ

草に埋もれそうな三角点   山頂広場

中腹の屋敷跡   山頂から見下ろす安塚町の家並み

山名:直峰城山、点名:城山、三等三角点、標高 343.98m
基準点コード:TR3-5538-53-6601、5万分の1地形図名:

撮影:平成19年10月13日

 14世紀中頃に活躍した、南北朝時代の南朝方、新田義貞に味方した風間信濃守信昭の居城。
 下って、16世紀前半、越後守護代長尾為景の家臣吉田英忠が城主、春日山の支城として重要な 役割を果たした。謙信没後家督争いにおける御館の乱においては、直峰城は景勝方に味方した。 天正8年、樋口兼豊が城主、その後、堀光親が在城したが、堀氏の除封とともに慶長15年(1610 )廃城。

 離れて見ると大した山ではないが、登るとなるとかなり険しく、山城を築いた意味が納得できる。 その傾斜地にいくつもの屋敷を構え、かなりの規模であったらしい。山頂からは米山などの 山並みや、安塚の家並みが見下ろせ、小学生の遠足にはもってこいである。