[ 松 倉 城 山 ]


富山県一の連郭式山城、桜の名所

  

  

  



  

  

  

  

  

山名:松倉城山、点名:平ノ峯、3等三角点、標高 431.15 m 
基準点コード:TR3-5537-13-1501、5万分の1地形図名:魚津
 
撮影:平成2年3月21日

 富山県一の連郭式山城、主郭は桜の名所、富山平野、富山湾の向こうに能登半島を展望。山側には剱、立山 を望む。主郭の北東端に当たる、標高は430m余りの「のろし台」跡に三角点。

     (以下は現地案内板の内容)            富山県指定文化財 記念物(昭和40年1月1日指定)         史跡 松 倉 城 跡       魚津市の南部に位置する城山と呼ばれる丘陵上に築      かれた山城です。城の構造は、南北方向に広がる尾根上      を空堀で区切り、複数の曲輪(郭)によって構成された      「連郭式山城」となっており、本丸部分は、県の史跡に指      定されています。       本丸の奥、南端の曲輪である八幡堂から、最も標高の      高い平ノ峰(標高430m)までの直線距離は約650m      あり、尾根上は多数の平坦面が設けられています。また、      松倉城の北西側にある大見城平には、多くの平坦面や石      積みの門があり、かって城下町があった鹿熊地区へ至る      山道も残っています。さらに、本丸(標高413m・面積      3600u)から見渡す眺望は格別で、西に富山市方面、      北に魚津市内を望むことができます。       築城年代は定かではありませんが、南北朝時代の14      世紀前半と推定されています。その後、幾多の武将がこの      城をめぐって争い、戦国時代末期の16世紀末にいたる約      250年間の長期にわたって、新川郡の要として、政治的・      軍事的に重要な役割を果たしてきました。      また、この城の発展には、背後に控える松倉金      山が関係していたと考えられています。                 平成22年9月                     魚津市教育委員会         松倉城とその支城群       富山県を代表する山城である松倉城は、      その規模から、増山城(砺波市)や守山城      (高岡市)とともに越中三大山城のひとつに数えられ      ています。その松倉城を中心として、半径2〜3km圏      内には、升方城や北山城などの支城(出城)や砦など      が配され、さらに半径7〜8km圏内になると、魚津城      や天神山城のほか、小規模な砦も点在し、広域な城郭群      を形成していました。       これらの城郭群は、山々が海に向かって張り出して      いる魚津市特有の地形を、巧みに利用して築かれたも      のです。松倉城を守るように、升方城や水尾城、石の      門砦が西側(富山方面)の防衛線を形成しています。      一方、東側(黒部方面)の防衛線として天神山城を配し、      さらに、陸海路・河川交通の要衝の平野部に魚津城を      配しています。また、市域を流れる早月川や角川、片      貝川、布施川は、天然の堀の役割も果たしていたと考      えられます。       東屋に設置した立体模型は、魚津市の地形の中で、      松倉城とその支城群の位置関係や、松倉城の構造を      視覚的に実感できるようにしたものです。                  平成22年9月                     魚津市教育委員会         松倉城跡の構造について       細長い尾根上に、空堀で仕切られた郭(曲輪)を連続して設けた連郭式の山城です。      空堀の深さは、主郭(本丸)と二の曲輪の間が5m程の深さで、二の曲輪と三の曲輪の間      が深い方で5m程、三の曲輪と四の曲輪の間は10m近い深さとなります。土塁は三、四の      曲輪でそれぞれ設けられ、主また主郭の一部には石積みも見られます。城山の中腹、鹿熊      集落側には大見城平と呼ばれる幾つもの平坦面と出入り口部には石組の門が築かれていま      す。本丸・ノの曲輪間の空堀や大見城平では、発掘調査が実施され、当時の生活用具など      が多数出土しました。                    平成17年3月 富山県教育委員会 魚津市教育委員会