[ 亀 山 ]
山頂、野面積みの石垣の上に大野城
山名:亀 山、点名:亀 山、三等三角点、標高 248.99m
基準点コード:TR3-5336-73-8801、5万分の1地形図名:大 野
撮影:平成28年6月11日
(以下は大野市HPより引用)
天正3年(1575)、織田信長は一向一揆が支配していた大野郡を金森長近と原政茂の両名に平定させ、大野郡
の3分の2を金森氏に、3分の1を原氏に与えたといわれています。金森氏は程なく亀山に平山城の城郭と、そ
の東麓に、大野が北陸の小京都と呼ばれる所以となる、短冊状の城下町を造り始めました。
金森氏は天正14年(1586)に飛騨高山に転封となり、その後は城主がたびたび交代しました。江戸初期には
松平氏、天和2年(1682)には土井利房が入封するにいたり、廃藩まで土井氏が城主を務めました。
当時の大野城は、本丸に望楼付き2層3階の大天主と2層2階の小天主・天狗櫓などを置き、麓に二の丸、三
の丸があり、二重の堀と川をつないで城を守っていました。石垣は野面積みで積まれています。
江戸時代には町の大火により、城も幾度か類焼し、安永4年(1775)には本丸も焼失しましたが、寛政7年
(1795)に再建されました。廃藩後、城の建造物は取り壊され、石垣のみが残されました(福井県指定文化財)。
現在の天守閣は昭和43年(1968)、旧士族の萩原貞氏の寄付により、往時を推定して再建されたものです。
内部には金森氏・土井氏の遺品などを展示し、資料館として活用しています。