[ 八 ヶ 所 山 ]


湯尾城址から祠、弘法寺のある山頂へ

  

明治天皇の記念碑、後方は湯尾城址   芭蕉の句碑

  



  



  

   

藤倉山から弘法寺

山名:八ヶ所山、点名:八ヶ所、4等三角点、標高 338.29 m 
基準点コード:TR4-5336-51-3501、5万分の1地形図名:今条
 
撮影:平成元年12月29日

 今条駅を起点に半時計回りに一周。湯尾峠への登り。湯尾湯尾峠は旧北陸道の要地、明治天皇北陸巡行の時に 休憩した祈念碑、湯尾城址、疱瘡の神を祀る孫嫡子神社、そして松尾芭蕉の「月に名を つつみかねてや  いもの神」の句碑がある。  さらに、しっかり雪囲いの施された祠の並ぶ尾根を登る。アンテナが建つ山頂に三角点 朱色の「ごくらく橋」 を渡って弘法寺、山岳宗教の拠点で、いまでも宗教活動が行われていることは、雪囲いの状況からして 明白。 

    (以下は現地の案内板に記載の内容)         湯  尾  峠       湯尾峠は、海抜二百米、八ヶ所山、三ヶ      所山に囲まれた鞍部にある。旧北陸道の要地      として栄え、北の庄府中からこの峠を通り、      今庄宿、木の芽峠、栃の木峠を経て京都に達      した。古峠は現在地より東方百米にあり源平      時代の燧城の戦いで木曾義仲が一部を改修し      とので、義仲道ともいわれていた。       現在の峠は天正六年(1578)北の庄城      主柴田勝家によって大改修が加えられた。       頂上には、疱瘡の神を祀る孫嫡子神社、      そのお守り札を売る茶屋が四軒あって大いに      栄えたと云われている。元禄二年奥の細道を      旅した松尾芭蕉は、この地で「月に名を つ      つみかねてや いもの神」の句を残している。       明治十一年明治天皇北陸御巡幸の時に、      御小休みされたので記念碑が建てられている。       約壱千有余年の歴史を秘めたこの峠も、      時代の伸展に伴い、明治二十九年鉄道の開通      によって次第にさびれて現在に及んでいる。                今庄町教育委員会