瀬戸菅原 (せとすがわら) 神社
かほく市 瀬戸町
白山社他を合祀したが祈年祭、秋祭は各社で


社頭   拝殿

手水舎   

昭和61年11月の狛犬は初老記念    ふさふさな後ろ姿

旧拝殿の鬼瓦で台座には「経の巻万十巴雲付」と刻まれている   こちらには「打出の小槌宝珠付」と刻まれている

脇参道の鳥居
    
撮影日:平成25年3月8日
鎮座地: かほく市瀬戸町上段78の2

 由緒書きには、戦国の天正12年、兵火にかかって焼失したが、寛永年間に前田家家臣で末森城を守備 した奥村永福がこれを再建したとある。佐々成正は、陣を張った坪井山から越中への敗走に 際し所構わず火を付けた。この神社もそのとばっちりをうけたようで、守備側だった前田家が再建したと いう構図のようである。
 旧拝殿の鬼瓦が保存されているが、台座には「経の巻万十巴雲付」「打出の小槌宝珠付」と刻まれており、 これは鬼瓦の型式のようである、初めて知った。 

(以下は石川県神社庁ホームページより引用)
御祭神:伊邪那美命 大国主命 速秋津比古神 天満天神 少彦名命
由 緒:
 当社の社伝及び神社明細帳によれば、往古より大海の庄、瀬戸ケ口に鎮座し、延喜式内瀬戸比古神社と 云い、大海の庄12ケ村の総社として信仰され、歴朝、奉幣使が幣帛を奉って参詣されてきた、その氏子 崇敬者も多く、又神田も広かった。戦国の天正12年(1584)社殿や宝物は、兵火にかかって悉く焼 失したが、寛永年間(11624〜)に、前田利家の命をうけて奥村永福がこれを再建、しばらくして万 治2年(1659)には、天満天神と少彦名命を相殿にお祀りした。宝暦4年(1754)には、各村々 は神社を建立し、氏神を勧請してお祀りしたが天満天神の祭日には、たくさんの参詣人で賑わったので世 上では、天神社と流布されるほどであった。明治6年(1873)瀬戸比古神社を瀬戸菅原神社と改称し た。明治40年(1907)10月5日、当社に白山社、大国社が合祀を届出されたが二社に於ては、祈 年祭並びに秋祭は、その後も斎行されている。明治41年4月8日神饌幣帛供進社に指定された。