[三 の 宮]

現白山比盗_社鎮座地

撮影:平成15年5月4日

白山比盗_社周辺を鳥瞰する。

鶴来地区を鳥瞰、中央のこんもりした山が舟岡山、その左下、木立の中の屋根が現在の社殿

撮影:平成22年1月24日

一の鳥居   石塔

木立に覆われた参道   二の鳥居

三の鳥居の向こうに門   ようやく拝殿に

拝殿   大きな杉


撮影:平成22年9月26日

一の鳥居   石塔

「ん」と拝殿   「あ」の向こうには拝殿への入り口

風格漂う拝殿   総元締めのわりには地味な扁額


所在地:白山市三宮町ニ105−1

(以下は、石川県神社庁ホームページ「白山比盗_社」より引用)
御祭神:白山比淘蜷_、伊弉諾神、伊弉冉神
由 緒:
 当社は遠く神代の昔、霊峰白山を神体山として生きとし生けるものの「いのち」の祖神と仰ぐ白山比淘蜷_を奉斎したことに はじまり、創建は約二千百年前の崇神天皇七年(前九一)と伝えられます。延喜式内の名社でありまして、古来「下白山」と称えらた 本社は「白山本宮」「加賀一ノ宮」として尊崇され、「白山さん」としてあまねく親しまれている北陸鎮護の大社であります。
 養老元年(七一七)僧泰澄によって白山を開山されて以来、修験道が盛んとなり、加賀・越前・美濃の三馬場が開かれて隆盛を極め ました。その後、旧社地は、古宮址安久濤の森(現在古宮公園)でありましたが、約五三〇年前の文明十二年(一四八〇)の大火によ って四十有余の堂塔伽藍が悉く烏有に帰しましたので、末社三ノ宮の鎮座地である現在地に遷られ、本宮鎮座の地と定めて今日に至り ました。明治維新の後は「下白山」を本社、「白山天嶺」を奥宮とし、国幣中社として国家から特別の重い待遇を受けましたが、終戦 後の今日では、全国に奉斎されている三千余社の白山神社・白山社の総本宮として白山信仰の中心をなしております。
 このようにして当社には白山比淘蜷_の大御稜威を欽仰して、四季を通じて多くの崇敬者が神恩報賽の誠を捧げ、御社頭が賑わって います。また、日ごと月ごと「白山さん」の神前で奏でまつるみやびやかな神楽の音が、樹齢千年を超える大杉や大欅にこだまして、 御霊験愈々いやちこなるものを拝します。