堂 殿 (どうでん) 神 社
飛騨市 蔵柱
26柱の神々が祀られ、前身は白山大権現

社頭

巨大な自然石の社号標   社名は緑色で記載

大ぶりな手水舎    

   大きくてフサフサの尻尾、危なっかしい台座



  

登り窯のような弊殿、本殿の配置   拝殿前から社頭方向
    
撮影日:平成27年5月6日
鎮座地: 岐阜県高山市上宝町藏柱2785番地

 岐阜県神社庁のホームページと現地由緒書きの内容を総合すると、この神社は、平安の頃白山信仰の社僧の勧めによ って、白山神を合祀し丸山白山大権現と称したが、後に丸山白山神社、大正2年に現社名に改称したものである。 祭神はそれぞれ主祭神13柱、全部で26柱と記載されいているが、いずれにしても賑やかしい神社である。
 巨大な自然石の社号標、これだけ大きいのは見たことがない。狛犬は、豊かな毛並で肘の裏側にも 毛が生えている。後ろから見ると大きくてフサフサの尻尾。台座はいささか危なっかしい。弊殿、 本殿は斜面を巧みに活用して、登り窯のような配置になっている。


     (現地の案内板に記載の内容、原文は縦書き)
         堂 殿 神 社
        祭神
        斐陀國造  大八椅命
        伊弉冊命  伊弉諾命
        菊理姫命  建速須佐之男命
        大山咋命  椋椅左衛門尉
              外十八柱
         由  緒
     創立年代不詳。平安の頃白山信仰の社僧の勧め
     によって、白山神を合祀し丸山白山大権現と称した。
     元禄年間、七本洞山王宮を合併し、天保十一年
     本殿を再建す。
     大正十二年十一月堂殿神社と改称された。
     以前は主として十月四日が祭礼日であったが、
     昭和四十一年より五月四日に祭礼が執行されている。
     その昔、縄文前期よりこの地に人が居住し、
     自然の恵みを与えて下さる神々に感謝をし祖先の
     霊を崇敬して盛んに祭祀が行われた処であった
     と思われる。
     正平年代一三五十年頃、新田義貞の家臣、
     椋椅左衛門尉がこの地に移り住んだ。蔵柱の
     開祖といわれている。
     天文年代一五三五年頃に、江馬氏の街道見張城砦
     が丸山に築かれ、長浦三郎左衛門尉が城主であった
     と記録にあり。共にその御魂が合祀されている。
     社の傍らに立派な堂宇が建ててあり、何時の頃
     からかこの地を堂殿と呼ぶようになったと云う。
                 宮 司 袖 垣 寅 三


    (岐阜県神社庁ホームページより引用)
     堂殿神社(堂殿神社)
     主祭神 大八椅命(おおやぎのみこと) 
            伊邪那美命(いざなみのみこと) 
            伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 
            菊理姫命(くくりひめのみこと) 
            大山祇大神(おおやまずみのおおかみ) 
            火産霊大神(ほむすびのおおかみ) 
            健速須佐之男神(たけはやすさのおのかみ) 
            宇迦御魂神(うかのみたまのかみ) 
            石動彦大神(いするぎひこのおおかみ) 
            鈿女命(うずめのみこと) 
            埴安姫神(はにやすびめのかみ) 
            天照皇大神(あまてらううめおおかみ) 
            大国主命(おおくにぬしのみこと) 
     住所  〒506-1314 岐阜県高山市上宝町藏柱2785番地
     由緒由来
       創祀不詳。往昔椋椅某故有りて来り、此の地を開墾し、其の祖神(神名未詳)を勧請し、崇敬あ
       り。後終に村名を「くらはし」と唱ふるとなり。故に椋椅某より数代居住する内其の社の傍ら
       に甚大なる寺堂の如きものを造立し、武芸を稽古す。其の後村呼びて堂殿と称す。後又丸山の
       頂上に城を築き、子孫之に居住す。此の時に当たり村名を改めて蔵柱とす。健速須佐之男命は
       三郎左ェ門尉の勧請になりと云ふ。この人至って尊敬ありし由、郡旗一枚有り。三郎左ェ門尉
       の奉納なりと云ふ。其の子孫が江馬家に随従し、名を長浦三郎と改めたりと云ふ。明治四十年
       六月くろだに無格社神明神社外四社合併す。当社元丸山白山神社と称しが、大正慈雨二年十一
       月七日堂殿神社と改称の許可を受く。
     祭礼情報 5月3日〔3日間〕