飛騨一宮水無 (みなし) 神社
岐阜県高山市一之宮町
境内に白山社を合祀した白川神社

社頭左手には「國弊小社」の石塔    社頭右手には「飛騨一宮水無神社」の社号標

  手水舎

手水鉢   龍頭

拝観所  賽銭箱には「六つ瓢」の神紋が線刻で刻まれている

拝殿前の狛犬、唇が「こきりこ節」で使う「ささら」の様  拝殿  

拝殿の屋根には菊の神紋   拝観所から境内を見渡すと左手大杉の下に白川神社

小ぶりな白川神社の狛犬  木製の玉垣に囲まれた白川神社本殿  

流れ造りの本殿   

絵馬堂

絵馬堂の屋根に光るのは「五七の桐」の神紋   右端、東方に「横綱 輪島大士」の文字が見える

拝観所から社頭方向   社頭方向

社頭、古くなったお守りなどを入れる箱に「六つ瓢」の神紋
    
撮影日:平成26年6月14日
鎮座地: 岐阜県高山市一之宮町大野郡宮村字石原5323番地

 境内の白川神社は、御母衣ダムの建設により水没した白川村長瀬、福島の両集落にそれぞれ鎮座していた白山神社を 遷座、合祀し創建した神社である。絵馬堂には、大相撲の番付表が奉納されており、東方に「横綱輪島大士」の文字が 見える。

(以下は岐阜県神社庁ホームページより引用)
主祭神:御歳神(みとしのかみ)
摂末社祭神:
  大己貴命、三穂津姫命、 応神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、 天火明命、少彦名命
  高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豊受姫大神、大歳神、大八椅命
由緒由来:
 古来、飛騨国一ノ宮として名高く、創始年代は神代にありと社伝にもあるが詳らかではない。史上にあらわれるのは 平安初期、貞観9年(867)神位を授けられた記事にはじまる。中世鎌倉時代には社領は付近18ケ村に達し、社家 12人と社運が隆盛であったが、戦乱にかかわって荒廃をみた。江戸時代に入って歴代の領主、代官、郡代(天領時代) の尊崇をうけ、また、一般の厚い信仰にささえられ、明治4年5月14日、太政官布告によって国幣小社に列せられ、昭 和10年より国費をもって10年の歳月を要する造営がなされ今日の社殿が完成した。昭和21年2月官制廃止後は神社 本庁に所属し現在におよぶ。社名の水無は『みなし』(水成)または、『みずなし』とも読み、俗に『すいむ』と音読 することもあるが、水主の意味である。社前を流れる宮川の川床があがり、流れは伏流して水無川となり、水無川、水 無瀬河原、鬼川原(覆ケ川原)の地名となっている。この宮川の源流位山は日本を表裏に分ける分水嶺になっており、水 主の神の坐す神体山として当神社の奥宮と称している。この霊山には一位(櫟)の原生林があり天然記念物とされ、平治 元年(1159)には飛州一宮神主から位山の一位の御笏を献上したことがみえるのをはじめ、一宮神領、位山の一位を もって謹製した笏を歴代天皇御即位に献上するのが例となって今日に至っている。