白 山
(はくさん)
神 社
飛騨市 古川町 数河(すごう)
立派な社殿、境内に祓戸神社
鎮座地:岐阜県飛騨市古川町数河字宮田1776番地
撮影:平成24年11月24日
白山神社の狛犬は新しいが、境内社である祓戸神社の両脇にある狛犬は古そうで、表情に愛嬌があり、
おもしろい。
(以下は白山比盗_社白山社めぐりより引用)
御祭神:伊邪那美命
由 緒:
当神社の北西の方角にある山頂に数個の巨石群があり、地元では霊山として崇拝され、そこ
に小祠を建立して高津宮と尊称されていました。いつの頃からか高津宮から現在地の宮田へ社
殿を御造営し、遷座されたといわれます。
当神社のすぐ隣に松尾白山神社(御祭神大山咋神)も御鎮座され、地元数河の人達は、熱く崇
敬しています。
特に両神社とも県の無形文化財に登録されています特殊神事の獅子舞は、アクロバット的な
舞からおかめと金蔵による獅子退治など多種の演目があり、例祭時には、近在のみならず遠方
から獅子を見に、多くの参拝者が訪れます。
当地域は、どの地方にも見られるように少子高齢化が進み、さらには村を離れる人達もあり、
氏子数は減少しつつあります。そのような中で、地元の若者達(若社という)を始め、村を出た
若者達も獅子舞の練習のためにやってきて、数カ月前から熱心に伝統文化を継承しています。
この地域は、大変おいしい水が湧き出る地でもあり、誰でも自由に飲むことができます。
(以下は岐阜県神社庁ホームページより引用)
主祭神:伊邪那美命(いざなみのみこと)
摂末社祭神:菊理姫命(くくりひめのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
剣大神(つるぎおおかみ)
由緒由来:
社伝によれば平安朝依然創祀。口碑に曰く、昔は現在の社地より乾方に当たる山峡に八面玲
瓏として山頂を拓き数個の巨石を配置せる霊山あり。(神奈備或は伊波佐加なるべし)世々之を
高津森と唱へ、後該地に小祠を建立するに及び、高津宮と尊称す。村民の信仰殊に深く、毎年
春秋二回払暁未明に老幼各自松明を点じ、登山祭祀を行ふ。その延々たる行列の壮観想像する
に余りあり。世人之を号けて数河の千燈祭と膾炙す。現干九月七日例祭前夜千燈祭を継承厳修
しあり。爾後承平年間現在地字宮田に社殿を造営し、高津宮より神璽(石製神鏡)を遷座奉安す。
(当社の宝物なり)而して其の旧跡一帯を宮ヶ洞と称し、今に至る。又宮ヶ洞山麓に別当社僧小
宮司道海のため小言寺を建立以て当社の神事に奉仕せしむ。弘和二年七月社殿御造替す。永正
十五年四月小言寺焼失。別当小宮司亦滅亡す。其の旧跡字小宮司山林大半は当社所有御旅所た
り。中昔国内戦乱騒擾民心流離せる頃美濃長瀧の僧徒国内勧化回壇と称し徘徊する事多年。白
山権現こし当國の鎮守たるべきなりとて、殿内に長二尺五分幅六寸八分の白山大権現の神号軸
を掛けたり。(当社宝物として保存しあり)茲に於いて高津宮は世代の変遷に伴ひ不知不識の裡
に社名を遂に白山宮としたるは遺憾の極みなり。此社に木像三体あり。此の里開拓の祖深山源
左ェ門佐藤兵衛山村六郎兵衛等三名の農祖の霊を祀るとも云ひ、亦新墾の節三祖自ら神像を彫
刻し、祭祀し、闢地殖民の功を祈願せしとも云へり。
祭礼情報:9月5日