白 山
(はくさん)
神 社
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郡上市 高鷲町鮎立
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がらんどうの拝殿は鉄筋コンクリート造り
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撮影日: |
平成26年7月21日 |
鎮座地: |
岐阜県郡上市高鷲町鮎立堂ケ洞1959番地の1 |
境内にある由緒書きには、泰澄大師が白山に登って修行するためやってきたが、余りにも険しいので、
しばらく此の地に滞在、その際に神社を建立したとある。
伝説の部分もあろうが、単純に考えるとその後の経緯からしても長滝の白山神社辺りに滞在し
そこを白山信仰の拠点にしたのではないか。いずれにしても泰澄大師の伝説はかなり広い範囲、
新潟から奈良あたりにまで分布していることからすれば、此の地は長滝とは目と鼻の先、ここら一帯が白山信仰の
中心であったことは間違いない。
(以下は岐阜県神社庁ホームページより引用)
通称:あゆばしりじんじゃ鮎走白山神社
主祭神:
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
菊理姫命(くくりひめのみこと)
由緒由来:
養老年中泰澄大師の白山登山の際、当村助右衛門に止宿あり。その時泰澄大師に帰依し暫く逗
留あり。幸白山へ間近く此処を霊地なりと神社を創立して笹分宮と称し社殿並びに堂伽藍を建立
し白山守に尊像を安置し、又霊地成ると聖武天皇勅を以て助右ェ門当三社別当但馬大瀧と賜ふ。
泰澄大師白山へ登山の時助右衛門助七なる者鉈鎌幣材を持ち道案内当社北三十町の坂道にて大日
ヶ嶽を拝し因って御幣坂と名付、坂の上より越の白山を拝し峯通り彼の山に登る。案内者助右衛
門助七兄弟なり。当村に芥見殿へ貢納する時高四十石内を神社付御高七石八斗芥見七ヶ村川西鮎
走前谷正ヶ洞中切穴洞五ヶ村氏神とす。永禄二年社殿建物不残焼失に罹り社領は鷲見氏より三十
石賜りしに天正年中兵乱に鷲見氏滅亡して社領を失す。その後延宝七年遠藤氏より定米三斗四升
社領として寄付被下正徳元年五月に至り、神殿拝殿共再営せり。三年二月七日再建す。大工越前
國吉田郡城山永年寺門佐藤原末孫大塚喜左ェ門宗次安政四年三月再建す。大工能國高山相模伊三
郎明治五年八月より明治四十二年本村大字鮎立字二ノ瀬村社白山神社及本村大字鮎立字下岩野小
字遠藤平無格社秋葉神社並に同村同字小字遠藤平稲荷神社を合祀せり。
祭礼情報:9月18日