明 白 (あけしろ) 神 社
下呂市 萩原町 尾崎
神明神社と白山神社が合併して明白神社に

社頭   社号標

手水舎   自然の流れを再現したような自然石の手水鉢

昭和17年奉納の狛犬  天然記念物の夫婦杉  

拝殿を望む   拝殿の正面

簡素な正面、ガラス張りではなくビニール張り   拝殿内部

金ピカの社名額   シャモジと丸い筒?が奉納されている

  長い弊殿に続いて本殿

本殿を真横から   鬼瓦の位置、神紋は「」

本殿横から拝殿方向   拝殿前から社頭方向

境内社は明白天満宮   反対側には小さな木造の祠

重要有形民俗文化財である「力石」が4ヶ

社頭   社頭に出ると目の前に小学校
    
撮影日:平成28年7月16日
鎮座地: 岐阜県下呂市萩原町尾崎字四美辻941番地の1

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(以下は岐阜県神社庁ホームページより引用)
主祭神:
   伊邪那岐命(いざなみのみこと)
   伊邪那美命(いざなぎのみこと)
   菊理姫命(くくりひめのみこと)
   倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
   建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)
   火具土神(かぐつちのかみ)

摂末社祭神:
   大山祇神(おおやまつみのかみ)
   氏子出身靖国の神霊(うじこしゅっしんやすくにのしんれい)

由緒由来:
 当社の創建年代は不詳である。当社の前を通っている古代官道は、飛騨支路の上留(上呂)駅から旧浅水橋を 渡り、当社の御旅所の前を通って位山街道(飛騨匠の道)の入口迄至る。按ずるに、当社は、現永養寺が改宗前 の天台宗ごろの鎮座神か、あるいは棟札に記載されている、貞享二年に今井氏三家による創建と考えられる。元 禄検地にも除地の記載がない。
 棟札に貞享二年の鎮座以来、享保、明和、寛政、文政、明治等にわたり、再建の記載がみえている。 明治維新に村社に列格し、明治二十九年現鳥居付近より現地に移転の上、神明造拝殿を新築した。同四十一年に 四美辻白山宮、下村神明宮、船渡神明宮の三社と蕨野天満宮、山之神の五社が合併合祀して「明白神社」と改称 した。
 大正二年本殿を新築し、旧本殿(寛政築)を野上阿弥陀堂に譲渡する。昭和十年に現拝殿を新築した。戦 後、幣拝殿を増改築し、昭和五十八年本殿を新築し、全社殿を流造りに統一した。同年、川西部会九社を招請し て大祭を執行した。
 境内社「明白天満宮」は、『飛騨国神名記』に記載されている。昭和五十八年本殿新築に伴い旧本殿を移築し境 内社となる。毎年八月に、中学生の奉仕と子供会全員の参列によって例祭が行われている。 「明白獅子」は昭和十四年の例祭に奉納されて以降、毎年青少年によって奉納されている。昭和五十三年に町無 形民俗文化財の指定を受け、平成五年に伊勢神宮式年遷宮奉祝祭に奉納した。