白 山 社

白山市 宮保町

宮保八幡神社境内に鎮座


  社頭

  

  

前足を揃えておしとやかな狛犬   雄狛は、猛々しい

横からみると角というより髷のよう    舌もきっちりと彫ってある

  境内右手にある白山社

かなり落ち込んだ鳥居(縦横の比率は変えていません)   金刀比羅宮の跡

  
    
撮影日:平成24年12月30日
鎮座地: 白山市宮保町2ー291

 県内の白山神社の取材を概ね終了し、逆さ狛犬をさがしてローラー作戦で神社回りをしていたところ、由緒ある 神社と思い取材した。狛犬は明治5年3月で、腹下がくりぬかれていない古い部類のものであったことや灯籠などの 寄進物が多いことを覗けば普通の神社であった。境内を一回りして帰ったが、あとで神社庁ホームページを見てい たら、この神社は白山神社ゆかりのものであることが判明。写真を確認したら、阿形の後方に小さく白山社が写っ ているではないか。ということで、このページに掲載したが、再調査が必要であることは明らか。
 因みに境内社の前に寸足らずの鳥居があり、なぜこのように背丈だけを切り詰めた格好のものを設置した のかな? 通常のものを設置したが、支障があって造りなおしたのか、始めからこんな格好だったのか、だれかに 聞いてみなければならない。

(以下は石川県神社庁ホームページ「宮保八幡神社」より引用)
御祭神:天照大神 八幡大神
由 緒:
創建 社記によれば継体天皇の頃と伝えられる。即ち「越前の国に住まわれた応神天皇(第15代)五世の孫 彦太王命が比楽川の氾濫防止の策を講ぜられたのを敬慕し、王が上都して継体天皇(第26代)(507年)にな られるに当たって離別を惜しみ、王の記念を与えられ子孫に伝えることを請うたところ、特に東保に応神天皇 を祀らしめ宸翰神宝を納められた。郷民は王の意を体して国王明神と崇めた。」と記述されている。
沿革 往昔、宮保の地は、京都南禅寺の荘園であり、九州の宇佐八幡宮の末社として永く鎮座し東保八幡宮と 称され、又霊峰白山の恩恵を白山社に祀り神主・上道氏を中心に信仰を集めていた。明治維新には神仏分離の 神社改革が行われた。
明治31年郷社に、同39年神饌幣帛料供進神社に指定された。明治41年七郎菅原神社、高 松八幡神社、番出八幡神社を合祀し、境内に白山社(一時上河原鎮座)稲荷社、金刀比羅社を末社とし、大正 15年に本殿を、昭和39年には拝殿を造営し現在に至っている。